126社落ち就活生のブログ

14卒の就活生が経験したこと。反面教師にでもしてください。文具業界やオフィス家具業界を中心に就活しましたが、大学職員に落ち着きました。

「あなたの考えるグローバル化とは」という質問について、カレーと猫の話

お久しぶりです。季節は10月になりました。過ごしやすい日もあれば寒さを感じる日もありますね。いかがお過ごしでしょうか。

 

就活をしていた時に書き留めていたメモ帳を見ていたら、とある大学の面接で質問されたことについてのメモが残っていました。

 

「あなたの考えるグローバル化とはなにか」

 

この質問については、よく覚えています。

これは都内の某大学の2次面接で聞かれたものでした。この学校は近年留学制度や交換学生制度の充実に力を入れていて、今後も大学の国際化を強く推し進めていく方針をとっていました。

もちろん上記のことは説明会やらパンフレットやらで公表されていることです。この質問がくることは分かりきっていました。

ただ、その時の僕は幾つもの面接が重なっていて、ロクにこの大学について調べていませんでした。グローバル化についても「ここの職員になったら英語はなさないといけないのかなー」くらいしか考えておらず、まさかグローバル化そのものについての考えを聞かれるとは思っていませんでした。

 

当然僕は一瞬で頭を回転させ、なんとか答えをひねり出そうとしました。

 

幸いにもこの面接は集団面接で、僕は最後に答える順番でした。考える時間はある程度あります。いろいろと思考を巡らせていました。

 

最初の人は「語学力の強化こそグローバル化につながる」と言い、2番めの人も「外国人教師の増加が大学のグローバル化になる」と答えました。

 

さて、困りました。語学力の強化や外国人の招聘。とりあえずパッと思い浮かぶものであり、平凡だけれども至極確実なものです。間違ったことではないから納得もしやすい。王道中の王道を前の二人に言われてしまい、僕は悩みました。

アウトローなことを言ったら印象には残るかも知れないがハズレの可能性もある。前の二人と同じことを言ったら確実だけど印象は薄い。どうしたものか。

 

自分の順番が回ってきて、とっさに前者に決めてしまいました。

 

 

「私はグローバル化とは他者理解だと考えています。他国の人の文化を学び、否定からではなく認めることから始められる態度を身に付けることが、グローバル化で最も大切なことだと思います。例えば隣の国では犬を食べる文化があります。日本人の身としてはあまり受け付けられるものではないですが、そこを言語道断に否定し拒否するのではなく、興味を持って理解しようとする態度がとれる人こそ、グローバル化にふさわしい能力であり、この大学で育成すべきだと考えています。」

 

この回答はとっさに出てきたものとしては割りと上手く言えたので、よく覚えています。前の二人とは全く異なる回答であり、犬食文化という妙な具体例まで出してしまったので、自分の中では賭けとなる回答でした。

 

 

結果として、僕は賭けに勝ちました。もちろんこの回答だけで面接に受かったとは思えませんが、少なくともインパクトに残る回答が出来たとは自負していました。3次面接に進んだ時、集まった学生の中に「前の二人」の姿はありませんでした。(たまたま見なかっただけかもしれませんが。)

 

 

僕はこの回答が効果を発したのだと思いかなり有頂天になっていました。他の企業でもグローバル化について聞かれたら、これを言えば大丈夫だろうと考えていました(結局聞かれることはありませんでした)。

 

この大学には最終面接で落ちました。

 

 

 

 

 

このことを1年経った今思い出して、すこし思い出に浸っていた先日、昼食にカレーを食べている最中、ふと思うことがありました。

「カレーが嫌いな人っているのかな?」

 

当然いるはずです。いや、絶対にいます。人の趣向は千差万別ですし、国民食とまで言われるカレーだって、「あのドロドロが嫌だ」とか「スパイスが無理」という人は必ずいるはずです。

でも、僕がこれまで関わってきた人の中で、カレーが嫌いな人は皆無でした。だから上記のカレーを嫌う理由だって僕の想像でしかありません。僕はカレーが大好きだから、カレーを嫌う人の姿が全く想像できなかったのです。

 

この時、僕はグローバル化についての回答を思い出し、「大変なことを言ってしまったかもしれない」と思いました。

 

外国の文化を理解する。なんて簡単に言いましたが、これは非常に難しいことじゃないか。「カレーを嫌う要素」すら見つけられない僕に、こんなことは無理なんじゃないか。

 

 

昼食時に変なことを考えたもんです。結局考えがグルグルして、あまり落ち着いた昼食にはなりませんでした。

 

 

ここまでくると文化人類学並みの思考になってしまいそうですが、とにかく僕は、理論的でカッコイイことを言ったつもりであったけど、相当無茶なことだったのかも知れないと、いまさら恥ずかしくなったわけです。

 

ですが、完全に僕に理解できないわけでもありません。

唐突ですが、僕は猫が好きではありません。そもそも小動物が苦手です。

 

道端で猫がいると、みんな近づいて写真を撮ったり愛でたりしますが、僕はどうもそんな気にはなれません。「道にいると邪魔だなぁ」くらいしか思いません。

 

ネットでも、猫の画像は見た人全員が喜び癒やされるような、絶対的な存在のように扱われていることに僕は不思議な気持ちでした。仲間内でもペット自慢や犬派VS猫派の話題には馴染めずにいました。どっちが好き?と聞かれても「小動物はちょっと・・・」と答えると険悪なムードになるので、あまり人前では言えません。

 

猫が好きな人は、おそらく「猫の画像で癒やされない人はいない」と思っているかもしれません。ですが僕みたいに、猫に対し多少の嫌悪感を抱いている人もいる。このことを言うと、なんとも不思議がられる。変な人もいるもんだなぁと。

 

考えてみれば、僕が「カレーが嫌いな人」を上手く理解できない感覚と、猫好きな人が「猫を好きじゃない人」を上手く理解できない感覚は似たようなものかもしれません。だったら僕にも他者理解・異文化理解についての余地はあるのかも知れない。

 

 

なかなか難しいことを、1年前に言ってしまったと思いましたが、まぁその場の雰囲気もありましたし、とにかく面接に受かれば何を言っても構わない態度でしたので、深く考える必要はないのかもしれませんね。

 

 

終わった面接はきっぱり忘れるのも大切なんでしょうかね?

 

 

 

 

圧迫面接は誰も得をしないと思う話

お久しぶりです。すっかり寒くなりました。もうすぐ10月になりクールビズも終わりを迎えます。僕はネクタイを結ぶのが下手なので、ちょっと憂鬱な感じがしています。

 

去年の今頃、僕は就活を終えました。振り返ってみると就活について思うことが様々あるのですが、今回はふと圧迫面接について思い出したことがありました。

 

 

僕は70回くらい面接を受けましたので、様々なスタイルの面接を経験してきました。お喋り感覚で面接をした企業もあれば、まるで監獄のような雰囲気で面接を行った企業もあります。それぞれその企業の特徴が出ているものです。

 

70回も面接を受けたら、圧迫面接の1つや2つあったんじゃないの?」と思う方がいると思います。

圧迫面接の定義が僕にはよく分かりませんが、結果から言うと、僕が「圧迫だ」と思った面接は1度もありませんでした。

 

 

運が良かっただけかもしれません。

そりゃあ以前の記事にも書いたように、非常に心を抉る質問をしてくる企業はありました。しかしここは雰囲気自体は明るく、しゃべりにくい環境ではありませんでした。

 

圧迫面接について、ネットで調べればいくらでも情報は手に入ります。中には身の毛もよだつ様なエピソードもあります。

でも、実際数多くの面接を受けても、ネットで見たような状況にはなりませんでした。怒鳴られることもなければ無視されることもない。どの企業も学生を丁寧に扱っています。

 

むしろ、あまりに丁寧に扱いすぎているような気すら感じました。まるで腫れ物にさわるように就活生を扱うところも多く、かえってこっちが気を使う状況も多くありました。

 

就活生の身としては圧迫面接は無いに越したことはありません。嫌な思いをしてまで企業を受けたくないし、内定を得たとしても今後の仕事が思いやられます。面接はエラい立場の人がやりますから、仮にその企業に勤めてもその人の部下になると思うと、とてもじゃないけどやっていられません。それなら逃げるが勝ちです。

 

結局、圧迫面接は就活生の熱意を削ぐだけの行為であるように思えます。内定を貰ったとしても、まだ自社の社員でもない就活生に向かって威圧的な対応をするのだから、社員になったらどんな待遇になるか想像もしたくない。だったら別の会社に行く。

 

これは結局内定辞退に繋がってしまいます。企業としても、せっかく予算を充て会議をして内定を決めた就活生に辞退されるのは大変なことであるはずです。それに昨今のSNSによる情報社会によって、一度圧迫面接の悪評が広まれば、それを消し去るのは不可能に近い。バイトテロならぬ「就活生テロ」が起こるかもしないリスクを取って圧迫面接をするのは、やはり無謀であると言わざるをえない。

 

上記のことは企業もよく理解しているはずです。だからこそ70回以上面接しても僕が圧迫と思える面接は無かったのだと思います。圧迫面接をして得られるものよりもリスクが大きくなってきたからこそ、面接のスタイルも変化を余儀なくされている状況なのです。

 

 

 

 

 

 

 

でもまぁ、何を圧迫面接とするかも人それぞれではあります。人によっては面接官がつまらなさそうにしていたり、反応が薄いだけで「圧迫面接だ!」と言うかもしれません。その点、僕は鈍感というか、面接のし過ぎでちょっとのことじゃ動じなくなっていたのかもしれないですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

内定辞退について、企業と就活生の溝は深いと思う話

お久しぶりです。だんだんと蝉の声も聞こえなくなり、夜には静かな虫の声が響くようになりました。いくら外の暑さが和らぎ始めたとはいえ、職場では暑さと仕事にヒーヒー言いながら働いている僕です。いかがお過ごしでしょうか。

 

先日、気になる記事を見つけました。

学生の内定辞退 どう防ぐかを考える NHKニュース

 

学生の内定辞退をどうやって防ぐか。それについて人事コンサルタントの人が公演を行ったことについての記事です。対象はもちろん企業なので、就活生にはあまり届かないニュースであるような気もします。

 

僕もこの記事を「どうせ”今の就活生には根性がない”みたいなことが書かれているんだろうな・・・」と思いながら読んでいました。企業と就活生の思考のズレ。結局就活生が悪い立場にされているんだろうな、と思ってました。

 

が、予想以上の内容でした。

セミナーでは、講師の人事コンサルタントが「今の学生は『かまってほしい』と思う世代で、会社からの連絡がないと不安になり、別の会社に興味を持ってしまう」と指摘しました。
そのうえで、「面接で評価した点を学生に話すなど、相手に会社にとって必要な人材だと伝えることが大切だ」と話しました。

 

「思春期の女の子か!」と思わずツッコミを入れたくなる発言です。

 大勢いる就活生がこのように考えているかは分かりませんが、少なくとも就活生であった時の僕は、企業に「かまってほしい」という思考には至りませんでした。

 

この人事コンサルタントは、ネットとかで頻繁に話題に上がる「承認欲求」のことを「かまってほしい」と言い換えているのだと思います。ツイッターや動画サイトで有名になり、自分の存在を広く知ってもらいたい。その思いが強いために、時に犯罪行為までネタとして行ってしまう。たしかにそういう話題は多く、いわゆるバカッター事件が後を絶たないことは事実としてありました。

しかしそれと就活を一緒に考えるのは無理があるのではないでしょうか。会社に入り仕事をすれば、社会人として世間からの承認は十二分に受けられる。今の若者はそれすらも気づかないでネットと現実の区別ができない世代だと思われているのでしょうか。

そうだとしたら非常に悲しいですし、この人は人事コンサルタントとしては若者をバカにし過ぎている気もします。

 

 

まぁ、実際にこのセミナーを見たわけではないので、どのような意図を持ってこの発言をしたのかは分かりません。ただ、就活において「かまってほしい」なんて微塵も考えたことがないというのは僕の本心です。

 

 

いくつか内定を得た時、入社する企業を決定する基準は人それぞれです。僕の友人には公務員試験に合格したけれども、ビジネスマンとしてバリバリ働き、成長したいと夢を抱いて民間企業を選んだ人もいます。何を最終決定の重要項目にするかなんて、人それぞれなのは当然のことです。バリバリと働いてキャリアと高給を得たい人もいれば、薄給でものんびり仕事をしたいと考える人もいます。

 

ただ、同じような業種・同じような企業を選ばなければ行けない時、基準となるのはやはり福利厚生や会社の雰囲気です。

 

ブラック企業の存在が一般常識とまでなった現在、就活生は自分のはいる企業がブラックなのかホワイトなのか血眼で観察し判断しています。ですがネットの情報は眉唾ものだし、人間関係などは実際に働かないと分かりません。となると基準になるのは会社から公表されている情報。つまり年間休日や給料・福利厚生・社員制度です。

 

僕が就活生のときはボーナスがどれくらいだとか、福利厚生がどうとか、よく分かりませんでした。労働法や税金など詳しいことは知りませんでしたが、それでも数多くの会社を見てきたので、他社との比較は容易にできました。「あ、ここは年間休日の書き方が怪しいぞ」のように、なんとなく感づくことが出来ました。

 

就活生は常に必死です。そりゃあ人生の岐路に立たされているのですから、徹底的に疑心暗鬼になるのは当然です。ちょっとでも企業の動向に疑問を見つけたら、懐疑的にならざるを得ない。

企業にはその必死さが伝わっていない気がします(そもそも人事コンサルタントは、この就活生の心情を企業に伝えるのが仕事なのでは・・・?)。 だから「就活生にかまってあげよう」なんてナナメウエの考え方になってしまうのではないでしょうか。

 

 

就活生をナメて、かまってあげようとしている暇があったら福利厚生や社内の風通しを良くするほうに労力を使って欲しい。社内の雰囲気を公表して欲しい。就活生が求めているのは企業からのメールや電話じゃない。

 

 

 

結局、内定辞退の原因を就活生側に見出すことは、魅力がないがために就活生に逃げられていることを企業が認めたくないだけな気がします。そこを改善する気がない限り、就活生に捨てられるままの企業であることは変わらないでしょう。

 

 僕は4社の内定を得ましたが、最終的には大学職員かメーカーの2社からの選択になりました。ものづくりに対する憧れはあったものの、福利厚生や諸内容を踏まえて、現実的に働きやすそうな大学職員を選びました。この選択は僕にとっては正しい選択ですが、別の人にとっては間違った選択にもなります。要はひとそれぞれ。頼むから企業は余計なことをしてくれるなと思うばかりです。

 

 

 

 

「どんなに小さな会社でもいいからこの業界で働きたい」と考える就活生へ ~大学職員編~

お久しぶりです。お盆の時期いかがお過ごしでしょうか。

僕は8月の上旬に夏休みをいただいたので、静岡県にあるローカル線「大井川鐵道」に一人旅してきました。

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大井川鐵道はSLも走る大井川本線と、山奥をひたすら進む井川線があります。僕は両方の電車に乗りました。

大井川本線は夏休みなので子供連れの親子が多く騒がしいくらいでしたが、井川線に乗り換えるとほとんど乗客はおらず、貸し切り状態のようでした。

一人旅だったので、緑の色濃い木々を見ながら静かに考え事をするには最高の時間でした。

 

僕は基本的に旅行は単独で行う人間なので、自由に気ままな行動ができる喜びがある反面、やはり心細くなる時があります。「こんなことしてていいんだろうか」「もっとやるべきことがあるんじゃないか」と不安な考えがグルグル渦巻くときも当然あります。

 

そんなときにいつも思い出す文章があります。3年前の東日本大震災があった時に、立教新座高等学校の校長、渡辺憲司氏が卒業生に向けて贈ったメッセージ。いわゆる「時に海を見よ」という文章です。(後に書籍化された際にこのタイトルになっています)

 

当時話題になった文章ですが、僕は一人で不安になるとこの文章を思い出します。大学生になるということはどういうことか。僕はもう社会人ですが、この文章から考えさせられることはたくさんあります。

 

「大学に進学することの意味」を問うたこの文章は、言い換えれば「大学の存在意義」についての内容でもあります。だからこそ大学職員として運営する側の自分にも大きく響く文章です。

 

大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 

 

自分は何を求めて大学へ進学するのか。大学で過ごす時間はどのような意味があるのか。これを大学職員という職業になってから読み返すと、改めて「大学で働く」ことの意味を考えなければならないと感じました。

 

過去の記事で何度も書きましたが、大学職員というのは裏方の仕事であり、学生や先生を支える縁の下の仕事です。決してスポットライトがあたる立場ではない。だったらなぜ大学職員になりたいのか。就活における志望動機にもつながることです。

 

「雲をつかむような仕事であり、なんだかよく分からない。でも、大学職員として働きたい」と考える方々には、この文章の一読をオススメしたいと思います。そもそも大学とはどういう場所なのか。それを自分なりに考えだした時、志望動機や、やりたい仕事が明確になるかもしれません。

 

誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 

この文章通りに考えるならば、学生たちに「海を見る自由」を与えるために、何をすればよいか。大学を運営する人間として、学生に与えられることは何か。

 

大学職員は、専門学校や単科大学でなければ、やっていることはあらかた同じことです。その中で大学ごとの特色を見つけることは難しい。

どうしても見つからない時は「私は大学はこういうものだと考えている。この考えに一番合うのが、この大学だ」と、自分の考える大学像を全面に押し出すのも手段の一つです。

 

大学職員になりたい人は、たまには教育機関としての大学という、大きな視点でも考えてみてください。

 

 

 

 

 

 最初の旅行の話に戻りますが、僕は一人旅行中、この言葉をよく思い出していました。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

この文章の中でも、特に好きな一文です。一人旅行をする際はこの言葉を忘れないようにして、知らない土地に踏み入れるようにしています。

 

お盆が終わったらまた通常業務。学生がいない大学は寂しいもんです。

 

 

 

 

新聞記事検索での企業研究と謎ジンクス

お久しぶりです。すっかり夏です。バテてます。

とは言いつつクーラーの効いた部屋の中で黙々とPCを打つ仕事上、あまり疲れは感じていない日々です。

この気温の中を歩きまわる営業職や販売職の方々には頭が上がりません。

 

 

さて、今回は企業研究についてです。

 

8月を目前に、一度就活をリセットしてやり直す、もしくは持ち駒が無くなり最初からリスタートを切る方々も多いと思います。今一度企業研究から見なおして、再度挑戦をする。

その意気です。暑いですが頭のなかは冷静にいきましょう。夏だからってヤケになっては1~4月の繰り返しになってしまいます。

 

 

僕は企業研究の手段として、HPやパンフレットを見たりOB訪問をする以外に、大手新聞社が提供している新聞記事検索を頻繁に利用していました。

 

例えば読売新聞社が提供するヨミダス歴史館朝日新聞社聞蔵毎日新聞社毎索日経新聞日経テレコンなどです。

 

おそらく大学の授業で使った人も多いと思います。過去の新聞記事を検索できるアレです。基本的にどれも有料ですが、大学の図書館などで無料で使えるものだと思います。

 

あまり企業の情報が集まらない時や、3次・4次選考まで来た時に僕は企業名を検索し、直近10年の記事をすべて洗い出しました。

記事検索すると、新商品の紹介記事やインタビュー、大手企業になると人事関連の記事も見つかります。(主に日経が充実してます。内容は難しいですが)

 

新聞記事検索による企業研究の良いところは、企業が言いたがらない負の面も見つかることがある、というものです。特に大企業は過去に犯した失敗や法律違反があることもあります。

競売で不正を働いた、社員が犯罪を犯した、不透明な上層部の動きがあった・・・など、会社説明会では聞くことができない内容が結構転がってることがあります。

 

でも、就活生としては企業の負の面を知ったところで得することはありません。むしろ、そのことを口にすれば「厄介者」の烙印を押されかねない・・・

 

そうです。「相手企業の触れられたくない所」をあらかじめ把握しておく。このことで「余計なこと」を言ってしまう予防線を張っておくことが出来ます。

 

もちろん、直近の新製品や企業の社会貢献活動などは知っておいて損はありません。そのことを面接で言えば「よく調べているな」となるかもしれない。

 

 

とまぁ僕は上記のことを考えて、重要な面接の時には必ず新聞記事検索による企業研究をしていました。

しないよりはするほうが良いに決まってる。そう思ってやっていました。

 

 

しかし、なぜか新聞記事検索による企業研究をした企業は、ことごとく調べたあとの面接で落とされてしまいました。

 

自分でも不思議でしかたありませんでした。おそらく100%の確率をはじき出していました。

 

「企業のことを調べて、よく考えてるんだから間違ってるはずがない」

ずっとこう考えて、落とされても落とされても新聞記事検索をしていました。

 

でも全く上手く行かなかった。もはや「新聞記事検索で検索した企業には落ちる」というジンクスを抱えていた状態です。

 

偶然だとは思います。でも驚くほどジンクス通りに進む。怖くなって途中で止めてしまったら、内定をいただいた。

 

なんだったんでしょう。良く分かりません。

 

 

この企業研究の手段自体、悪いものではないと思います。みなさんもどうぞ試してみて下さい。

そしてこのジンクスが偶然だったと誰か教えてください。

 

 

 

 

面接で「父親の職業」を頻繁に聞かれた話

お久しぶりです。もう7月になり紫陽花のきれいな紫色にも少し茶色がかってきた頃です。梅雨明けが楽しみな時期でもありますね。

 

最近どこかで「面接で企業が就活生に聞いてはいけないこと」みたいな記事を読みました。その記事を探してもいいんですが、一番確かな情報は厚生労働省のHPに載っています。

 

 

公正な採用選考について|厚生労働省

ここを見ると、適性や個人の能力に関係のない家族関係や宗教などはあまり聞くべきじゃないよ、と書かれています。まぁ「配慮すべき事項」とあるので破っても罰則とかはなさそうですが。

 

家族構成については自分ではどうすることも出来ませんし、宗教や支持政党については一般的な会社ではあまり関係のない話です。業務に関係のないことは聞くな、ということでしょうか。まぁ就活生にとっても質問は少ないほうが気が楽ですけどね。

 

 

ところで自分の就活を思い出してみると、そういえば頻繁に「父親の職業」を聞かれていました。

当時もそれが「あまり聞くべきではない質問」であることは分かっていましたが、思ったより普通に、ためらいもなく聞かれるためそんなこと忘れていた気がします。

 

父親の職業。これは自分ではどうすることもできないことです。ですが嘘をついても、もし採用になれば身辺のことは企業に分かってしまう。下手な嘘もつけません。

 

この質問を聞かれた時に思うことはやはり「父親が大企業の人間なら有利なのかな」です。名前の知れた企業なら信頼に値するであろうと企業は見るのでしょうか。逆に名前も聞いたことのない零細企業なら不信感を持つのでしょうか。

 

そんなはずはない。 と僕も思いたいです。

 

父親の職業を聞くこと。この質問の意図は「家庭環境」だと僕は考えます。つまり家族とコミュニケーションをとっているか、仲睦まじく問題が起こりにくい家庭であるか。これを判断することでその人の人間性を見ようとする。つまり最小単位である家族というコミュニティにおいてどんな存在であるかを知る。これが企業の目的であり、これを知るための質問が「父親の職業」ではないかと考えるわけです。

 

 

いくら父親が大企業に勤めていても、もしかしたら多忙で離散寸前の家庭環境で育ち、荒んだ心の人間かも知れない。零細企業で厳しい生活であったとしても、楽しく明るく生きてきた豊かな心の持ち主かもしれない。

父親の企業でその息子の性格を判断するなんてどだい無理な話です。

 

肝心なのは家族のことをよく知っているか。コミュニケーションをとれているかだと思います。父親の職業ですら知らない息子は、まったく他人に興味が無いと思われかねないのです。

 

家族という小さなコミュニティですら満足に平和に分かり合えない人間が、企業という巨大なコミュニティで共に生きていけるか。

 

企業はこんな風に見ているんじゃないかと思います。

 

 

 

 

結局、企業が興味あるのは最初から最後まで就活生本人です。だったら父親のことをダシにして自己アピールするまでです。言い方は悪いですが、どんな質問も自己アピールにこじつける能力はあると便利です。

 

僕は父親が定年退職していたため、以前の勤め先を説明した後に定年後の父親と趣味を共有して生活を楽しませてあげている。と話をつなげました。家族思いの息子アピールを全面に出したわけです。

 

 

聞くべきではない質問を聞かれた時、「これはダメな質問だから黙秘しよう」とする人はいないと思います。聞かれたからには答える。できればそれをアピールに繋げる。転んでもタダでは起きない。ずる賢くいきましょう。

 

もしその面接で落とされたら、そこで初めてみんしゅうやらツイッターやらで公表してやりましょう。

スカッとしたら、また次の面接へ、です。

 

 

仕事に「やりがい」を求めすぎている友人の話

お久しぶりです。6月になりました。最近はすっかり仕事にも慣れ、業務中にあくびも出てしまう今日このごろです。睡眠はしっかりとりましょう。

 

先日ある電子機器販売会社に勤める友人と久々に再会しました。その友人はもともとデザイナー志望で、デザイン系の学校で学んでいました。しかし就活が上手く行かず、ようやく4年の3月に内定を得て、5月から働き始めていました。働き始めて1ヶ月ほど経って、積もる話もあるのでしょう。再会というより呼び出された感じでした。

 

話を聞くと、仕事はかなりつらいそうです。中小企業なので社長の独裁っぷりが滲み出ていることや、覇気のない雰囲気に飲み込まれそうなことなど、いろいろと教えてくれました。

 

幼なじみといえるほど仲の良い友人なので、つらそうな状況は無視できません。鬱になられたら僕も悲しいです。そこで、何がつらいのか深く聞いて、原因を掘り下げようとしました。

 

質問を繰り返すと、彼が一番つらいと感じていることは社長の独裁でも残業代が出ないことでもなく、「仕事にやりがいが感じられない」ということでした。

 

僕は非常に不思議に思いました。電子機器販売の会社と入っても、彼はデザイナーとして採用され、小規模ながらパンフレット制作などに携わっていると言っていました。

「なんだ、希望通りの仕事ができてるじゃないか」と僕は思いました。あまりデザイナーの世界を知らないので僕の解釈がズレている可能性もありますが、少なくとも営業や力仕事ではない。デザイナーらしい仕事を行っていて、なぜやりがいを見つけられないのだろう。

 

友人ははっきりと理由は言いませんでした。おそらく本人もよくわからないんじゃないかと思います。

 

 

「お前はどうなの?」と聞かれました。「仕事にやりがいを感じる?」

 

 

僕自身、今の仕事にはかなり満足しています。大学職員という裏方の裏方とも言える仕事を行って、誰の役に立っているんだかイマイチ理解できない事務作業を続ける日々にも、満足感は感じています。

 

でもこの満足感は「やりがい」とは別物ということは分かります。だんだんと仕事を覚え、先輩に質問しなくても業務をこなせるようになっていく。自分が成長したようなこの感覚。これは満足感です。入社直後だからこそ大量に得られるものだと思います。

 

じゃあこの満足感が薄れてきたらどうなるか。仕事に慣れ、作業がルーティン化してきたら、それこそ退屈な日々になる。この時にモチベーションを維持できるもの、つまり「やりがい」があるか。それは今のところ「ある」と断言できません。

つまるところ僕も「やりがい」を見つけられないでいる。今感じている仕事に対する満足感が薄れた時、僕はどうなるか、正直怖いとも思います。

 

 

でも一方で、そこまで仕事にやりがいを見つける必要もあるのかなぁ?とも思っているわけです。

 

別に仕事がつまらなくたって、他に楽しいことがあればいい。僕の場合はカメラいじりが好きで、フォトショやイラレをいじって遊ぶことが大好きです。むしろそちらにやりがいを感じてしまっている。

地味に早く帰れる大学職員という職業だからこそ、仕事以外にやりがいを見出してるのが、現在の僕です。もちろん仕事には満足していて、忙しいし出社したと思ったらあっという間に定時になってる。だから帰ってカメラで遊びたい。

 

 

やりがい至上主義はやりがいのレベルを自由に上下できる人でないと危険です。

 

 

そこまで仕事にやりがいを過剰に求めなければ、結構楽になる気がします。いくらカメラが好きだからといって毎日仕事のように遊んでいたらつまらなくなる。仕事は趣味のための良いスパイス程度に考えたらいいんじゃないか。

 

 

とまぁ友人に上記のことを話したわけですが、友人はあまり理解してくれませんでした。仕事に対する考え方は人によるってところでしょうか。それとも「好き」を仕事にしたデザイナーだからこそ仕事と趣味の区別がつかなくなって辛いのでしょうか。

 

後者なら僕のアドバイスは的外れどころかひどいことを言ってしまいましたね。こんど謝罪かねて食事でも誘います。