「どんなに小さな会社でもいいからこの業界で働きたい」と考える就活生へ ~大学職員編~
お久しぶりです。お盆の時期いかがお過ごしでしょうか。
僕は8月の上旬に夏休みをいただいたので、静岡県にあるローカル線「大井川鐵道」に一人旅してきました。
大井川鐵道はSLも走る大井川本線と、山奥をひたすら進む井川線があります。僕は両方の電車に乗りました。
大井川本線は夏休みなので子供連れの親子が多く騒がしいくらいでしたが、井川線に乗り換えるとほとんど乗客はおらず、貸し切り状態のようでした。
一人旅だったので、緑の色濃い木々を見ながら静かに考え事をするには最高の時間でした。
僕は基本的に旅行は単独で行う人間なので、自由に気ままな行動ができる喜びがある反面、やはり心細くなる時があります。「こんなことしてていいんだろうか」「もっとやるべきことがあるんじゃないか」と不安な考えがグルグル渦巻くときも当然あります。
そんなときにいつも思い出す文章があります。3年前の東日本大震災があった時に、立教新座高等学校の校長、渡辺憲司氏が卒業生に向けて贈ったメッセージ。いわゆる「時に海を見よ」という文章です。(後に書籍化された際にこのタイトルになっています)
当時話題になった文章ですが、僕は一人で不安になるとこの文章を思い出します。大学生になるということはどういうことか。僕はもう社会人ですが、この文章から考えさせられることはたくさんあります。
「大学に進学することの意味」を問うたこの文章は、言い換えれば「大学の存在意義」についての内容でもあります。だからこそ大学職員として運営する側の自分にも大きく響く文章です。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
自分は何を求めて大学へ進学するのか。大学で過ごす時間はどのような意味があるのか。これを大学職員という職業になってから読み返すと、改めて「大学で働く」ことの意味を考えなければならないと感じました。
過去の記事で何度も書きましたが、大学職員というのは裏方の仕事であり、学生や先生を支える縁の下の仕事です。決してスポットライトがあたる立場ではない。だったらなぜ大学職員になりたいのか。就活における志望動機にもつながることです。
「雲をつかむような仕事であり、なんだかよく分からない。でも、大学職員として働きたい」と考える方々には、この文章の一読をオススメしたいと思います。そもそも大学とはどういう場所なのか。それを自分なりに考えだした時、志望動機や、やりたい仕事が明確になるかもしれません。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
この文章通りに考えるならば、学生たちに「海を見る自由」を与えるために、何をすればよいか。大学を運営する人間として、学生に与えられることは何か。
大学職員は、専門学校や単科大学でなければ、やっていることはあらかた同じことです。その中で大学ごとの特色を見つけることは難しい。
どうしても見つからない時は「私は大学はこういうものだと考えている。この考えに一番合うのが、この大学だ」と、自分の考える大学像を全面に押し出すのも手段の一つです。
大学職員になりたい人は、たまには教育機関としての大学という、大きな視点でも考えてみてください。
最初の旅行の話に戻りますが、僕は一人旅行中、この言葉をよく思い出していました。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
この文章の中でも、特に好きな一文です。一人旅行をする際はこの言葉を忘れないようにして、知らない土地に踏み入れるようにしています。
お盆が終わったらまた通常業務。学生がいない大学は寂しいもんです。