126社落ち就活生のブログ

14卒の就活生が経験したこと。反面教師にでもしてください。文具業界やオフィス家具業界を中心に就活しましたが、大学職員に落ち着きました。

「あなたの考えるグローバル化とは」という質問について、カレーと猫の話

お久しぶりです。季節は10月になりました。過ごしやすい日もあれば寒さを感じる日もありますね。いかがお過ごしでしょうか。

 

就活をしていた時に書き留めていたメモ帳を見ていたら、とある大学の面接で質問されたことについてのメモが残っていました。

 

「あなたの考えるグローバル化とはなにか」

 

この質問については、よく覚えています。

これは都内の某大学の2次面接で聞かれたものでした。この学校は近年留学制度や交換学生制度の充実に力を入れていて、今後も大学の国際化を強く推し進めていく方針をとっていました。

もちろん上記のことは説明会やらパンフレットやらで公表されていることです。この質問がくることは分かりきっていました。

ただ、その時の僕は幾つもの面接が重なっていて、ロクにこの大学について調べていませんでした。グローバル化についても「ここの職員になったら英語はなさないといけないのかなー」くらいしか考えておらず、まさかグローバル化そのものについての考えを聞かれるとは思っていませんでした。

 

当然僕は一瞬で頭を回転させ、なんとか答えをひねり出そうとしました。

 

幸いにもこの面接は集団面接で、僕は最後に答える順番でした。考える時間はある程度あります。いろいろと思考を巡らせていました。

 

最初の人は「語学力の強化こそグローバル化につながる」と言い、2番めの人も「外国人教師の増加が大学のグローバル化になる」と答えました。

 

さて、困りました。語学力の強化や外国人の招聘。とりあえずパッと思い浮かぶものであり、平凡だけれども至極確実なものです。間違ったことではないから納得もしやすい。王道中の王道を前の二人に言われてしまい、僕は悩みました。

アウトローなことを言ったら印象には残るかも知れないがハズレの可能性もある。前の二人と同じことを言ったら確実だけど印象は薄い。どうしたものか。

 

自分の順番が回ってきて、とっさに前者に決めてしまいました。

 

 

「私はグローバル化とは他者理解だと考えています。他国の人の文化を学び、否定からではなく認めることから始められる態度を身に付けることが、グローバル化で最も大切なことだと思います。例えば隣の国では犬を食べる文化があります。日本人の身としてはあまり受け付けられるものではないですが、そこを言語道断に否定し拒否するのではなく、興味を持って理解しようとする態度がとれる人こそ、グローバル化にふさわしい能力であり、この大学で育成すべきだと考えています。」

 

この回答はとっさに出てきたものとしては割りと上手く言えたので、よく覚えています。前の二人とは全く異なる回答であり、犬食文化という妙な具体例まで出してしまったので、自分の中では賭けとなる回答でした。

 

 

結果として、僕は賭けに勝ちました。もちろんこの回答だけで面接に受かったとは思えませんが、少なくともインパクトに残る回答が出来たとは自負していました。3次面接に進んだ時、集まった学生の中に「前の二人」の姿はありませんでした。(たまたま見なかっただけかもしれませんが。)

 

 

僕はこの回答が効果を発したのだと思いかなり有頂天になっていました。他の企業でもグローバル化について聞かれたら、これを言えば大丈夫だろうと考えていました(結局聞かれることはありませんでした)。

 

この大学には最終面接で落ちました。

 

 

 

 

 

このことを1年経った今思い出して、すこし思い出に浸っていた先日、昼食にカレーを食べている最中、ふと思うことがありました。

「カレーが嫌いな人っているのかな?」

 

当然いるはずです。いや、絶対にいます。人の趣向は千差万別ですし、国民食とまで言われるカレーだって、「あのドロドロが嫌だ」とか「スパイスが無理」という人は必ずいるはずです。

でも、僕がこれまで関わってきた人の中で、カレーが嫌いな人は皆無でした。だから上記のカレーを嫌う理由だって僕の想像でしかありません。僕はカレーが大好きだから、カレーを嫌う人の姿が全く想像できなかったのです。

 

この時、僕はグローバル化についての回答を思い出し、「大変なことを言ってしまったかもしれない」と思いました。

 

外国の文化を理解する。なんて簡単に言いましたが、これは非常に難しいことじゃないか。「カレーを嫌う要素」すら見つけられない僕に、こんなことは無理なんじゃないか。

 

 

昼食時に変なことを考えたもんです。結局考えがグルグルして、あまり落ち着いた昼食にはなりませんでした。

 

 

ここまでくると文化人類学並みの思考になってしまいそうですが、とにかく僕は、理論的でカッコイイことを言ったつもりであったけど、相当無茶なことだったのかも知れないと、いまさら恥ずかしくなったわけです。

 

ですが、完全に僕に理解できないわけでもありません。

唐突ですが、僕は猫が好きではありません。そもそも小動物が苦手です。

 

道端で猫がいると、みんな近づいて写真を撮ったり愛でたりしますが、僕はどうもそんな気にはなれません。「道にいると邪魔だなぁ」くらいしか思いません。

 

ネットでも、猫の画像は見た人全員が喜び癒やされるような、絶対的な存在のように扱われていることに僕は不思議な気持ちでした。仲間内でもペット自慢や犬派VS猫派の話題には馴染めずにいました。どっちが好き?と聞かれても「小動物はちょっと・・・」と答えると険悪なムードになるので、あまり人前では言えません。

 

猫が好きな人は、おそらく「猫の画像で癒やされない人はいない」と思っているかもしれません。ですが僕みたいに、猫に対し多少の嫌悪感を抱いている人もいる。このことを言うと、なんとも不思議がられる。変な人もいるもんだなぁと。

 

考えてみれば、僕が「カレーが嫌いな人」を上手く理解できない感覚と、猫好きな人が「猫を好きじゃない人」を上手く理解できない感覚は似たようなものかもしれません。だったら僕にも他者理解・異文化理解についての余地はあるのかも知れない。

 

 

なかなか難しいことを、1年前に言ってしまったと思いましたが、まぁその場の雰囲気もありましたし、とにかく面接に受かれば何を言っても構わない態度でしたので、深く考える必要はないのかもしれませんね。

 

 

終わった面接はきっぱり忘れるのも大切なんでしょうかね?